十干は10、十二支は12。10は五行の5で割り切れますが、12は5で割り切れません。十二支を円に並べて図形として見ると、この割り切れなさが四柱推命の五行バランスを構造的に偏らせていることが分かります。43万8,300の命式を数えて確かめました。
十二支を時計のように円に並べます。12は3でも4でも割り切れるので、4つおきに結ぶと正三角形、3つおきに結ぶと正方形ができます。そしてどちらにも、昔から名前が付いていました。
三合は、正三角形をつくる3つの十二支が結びついて、ひとつの五行を強めるとされる関係です。申・子・辰で水局、亥・卯・未で木局、寅・午・戌で火局、巳・酉・丑で金局。
正方形の3つは、季節のどこにあたるかの分類です。子・卯・午・酉が季節のまんなか(四正)、寅・巳・申・亥が季節のはじまり(四生)、丑・辰・未・戌が季節の終わり(四庫、四墓とも)。
記事006で、フラワー・オブ・ライフは三角格子、洛書は正方格子でできていると書きました。十二支の円は、その三角と四角を同時に含んでいることになります。ただし、これは12が3と4の両方で割り切れるという数の性質から出てくることで、二つの図形の体系に共通の起源があるという話ではありません。
十二支にも五行が割り当てられています。数えるとこうなります。
| 五行 | 十二支 | 数 |
|---|---|---|
| 木 | 寅・卯 | 2 |
| 火 | 巳・午 | 2 |
| 土 | 丑・辰・未・戌 | 4 |
| 金 | 申・酉 | 2 |
| 水 | 亥・子 | 2 |
12個を5つの五行に均等には分けられません。四季にあたる木・火・金・水が2つずつ取り、残りの4つを土が受け持っています。そしてその土の4つは、図1の右で塗りつぶした四庫の正方形そのものです。土は、季節と季節のつなぎ目に置かれています。
いっぽう十干は 10 = 5 × 2 なので、どの五行もちょうど2つずつです。命式は十干4文字と十二支4文字でできているので、十二支の側にだけ土への偏りがあることになります。
理屈のうえでは、十干4文字から各五行が平均 4 × 2/10 = 0.8個、十二支4文字から土は 4 × 4/12 = 1.33個、ほかは 4 × 2/12 = 0.67個。合わせて土 2.13個、ほかは 1.47個になるはずです。
実際の命式で確かめました。1950年から2049年までの100年間の全日について、12の時辰すべての四柱を計算し、合計438,300の命式で五行を数えています。
| 五行 | 平均(実測) | 平均(理論) | 0個になる命式 |
|---|---|---|---|
| 木 | 1.477 | 1.467 | 20.2% |
| 火 | 1.474 | 1.467 | 19.2% |
| 土 | 2.131 | 2.133 | 7.9% |
| 金 | 1.462 | 1.467 | 20.7% |
| 水 | 1.455 | 1.467 | 20.3% |
この結果を受けて、四柱推命ナビの五行のバランスの欄に、平均的な出方を並べて表示するようにしました。自分の命式の土が多いか少ないかは、1.47ではなく2.13と比べて読むのが公平です。
十干と十二支は、干支として組になって進みます。10枚歯と12枚歯の歯車をかみ合わせて回すようなもので、同じ組に戻ってくるのは最小公倍数の60回目です。これが六十干支です。
10 × 12 = 120通りの組み合わせがありそうですが、実際に現れるのは半分の60通りだけです。10も12も偶数なので、陽の干は陽の支とだけ、陰の干は陰の支とだけ組みます。甲子はあっても、甲丑は一度も現れません。
六十干支を甲から始まる10個ずつに区切ったものを旬と呼びます。十干は10個しかないので、ひとつの旬が使う十二支も10個だけ。十二支のうち2つが、かならず使われずに残ります。これが空亡です。甲子旬なら戌と亥が残ります。
6つの旬の空亡を円の上に並べると、もうひとつ図形が出てきました。
こうして十二支の円の上には、三合の三角形、四正・四生・四庫の四角形、空亡の六角形が同時に乗っていることになります。3・4・6は、同じ正多角形だけで平面をすき間なく敷き詰められる、ただ3つの正多角形の辺の数と同じです。面白い一致ですが、これも12が3でも4でも6でも割り切れる、というだけのことです。
十干は5の世界で、記事011で見たとおり五角形と五芒星の上に乗っています。十二支は12の世界で、三角と四角と六角に分けられます。四柱推命の暦は、この二つを60の歯車でかみ合わせたものでした。
かみ合わせで余った歯が空亡になり、5で12を割り切れないしわ寄せが土に来ている。図形として見ると、四柱推命のなかで「なぜそうなっているのか」がいくつか見えてきます。そしてそのどれもが、数の性質から出てくることで、それ以上の意味を足す必要はないと考えています。